日本で住まい探しといったら不動産屋を介さないことはまず無いんじゃないかと思いますが、イタリアでは「知り合いによる紹介」も根強いです。
なので、まずは自分がアパートを探しているということをできるだけ多くの人に拡散しています ← 今まさにこの段階
普段あまり連絡を取らないような人にも、チャンスをうかがって言っていこうと思います。
もし逆の立場で、普段ほとんど連絡をとらない人から
「今度引越しするから何か情報あったら教えて!」
などと言われたらちょっと「ん?」となるだろうなと思うので、あまり気が進みません。
しかし、どこからどんな情報が入ってくるか分からないし、こちらではこういうことはあまり気にせずに行われているように感じます。
例えば、うすい知り合い程度の人から、久しぶりの連絡が来たと思ったら「今度日本へ帰ったらxxxを買ってきて!」と頼まれたり。
それで自分も図々しくいこうと決めています。
今の大家さんにも、退去の連絡をしてから1週間後ぐらいにたまたまアパート内の階段で会ったとき、
「ボローニャでアパートを貸したいという人、知ってたりします?」とアピールしておきました。
「じゃ、友人に聞いてみるよ」
私が「今アパート探しているんだけど、何か情報あったら教えてね」と言うと3分の1ぐらいの人が、
「わかった。ちょっと知り合いに聞いてみるよ」
と期待を持たせてくれるような返事をします。
例えば、先ほどの話の続きで大家さんに同じことを聞いたとき、
「ああ、ボローニャにはxxxという友人がいて不動産業をしているから今度伝えておくよ」
と言ってくれました。
他にも、ある友人は、
「了解。ボローニャの〇〇エリアに住んでいる友達が精通しているから明日さっそく聞いてみる」
と、具体的に“明日さっそく”とまで。
続報なし
そんな有難い返事をもらってから10日ほど経ちますが、続報はありません。
「聞いてみたけど今のところ良い情報はないみたい」などと続報をもらえれば、こちらとしては、ちゃんと聞いてくれたんだ、とそれだけで大感謝です。
特に「明日さっそく聞いてみる」とまで言ってくれたのであれば、結果どうだったかを教えてくれればいいのに、と思ってしまいます。
そもそもこちらが頼み事をしているわけで、こんなことを思うのは筋違いだと分かってはいるのですが。。
しかしもっと正直に言うと、本当は聞いてもいないんだろうな、と半分ぐらい思っています。
Noと言わないイタリア人
自分はこういうエピソードを国民性みたいなものに結びつけて考えるのが好きで、理解していたつもりだったのに久しく忘れていたことを思い出しました。
道で「xxxはどこですか?」と聞かれ、大体は分かるけれど正確に道を教えられるほどではない場合の返答。
日本人「すみません。ちょっと分かりません」
イタリア人(自信満々に)「ああ、xxxならその信号を右に曲がって、しばらくまっすぐ行って‥‥」
イタリア人はこういうとき、あやふやにしかその場所を知らなくても堂々と道案内を展開します。
困っている人に対して「分かりません」とだけ答えるのは冷たい対応だという感覚があるようです。
不正確な情報でも何とか役に立ってあげたいというサービス精神、悪く言えば「いい格好しい」が発動されます。
対して日本人は、あいまいな情報を提供して結果その人が困るぐらいなら、始めから「わかりません」と言ってしまったほうが本当の意味で親切だ、と考えるのではないでしょうか。
イタリア人のサガ
日本人はNOと言わない、曖昧で分かりにくい、というのが通説ですが、こういう場合に態度がはっきりしているのはむしろ日本人です。
イタリア人のほうが、多少いい加減な情報でも何か教えてあげたほうがいい、と考えるあまり「分かりません(=NO)」と言えなくなっているように感じます。
私が「アパートの情報があったら教えて」と頼んだときも同じことかもしれません。
アテがなくて「自分はそういう情報を持っていない」とその場で正直に言ってしまうより、相手に期待を持たせ親切そうに聞こえる「了解。ちょっと聞いてみる」と答えてしまう性があるようです。
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